◆ 昭和53年3月の訪問

ラッシュ時は5編成の運用となる大師線も日中は2編成の運用のため昼間は京浜川崎駅構内の電留線で待機していました
上:昭和53年3月17日 下2枚:昭和53年3月16日

3月16日は3編成が運用につきました 京浜川崎駅

京浜川崎駅から撮影 昭和53年3月16日

京浜川崎駅を発車 昭和53年3月16日

港町−京浜川崎(後追い撮影) 昭和53年3月16日

港町−京浜川崎(左は後追い撮影) コロンビアレコードのマークが懐かしい 昭和53年3月16日

京浜川崎−港町(右はいずれも後追い撮影) 昭和53年3月16日

産業道路踏切 小島新田−産業道路 昭和53年3月17日

産業道路−小島新田 昭和53年3月17日

小島新田駅発車 昭和53年3月17日

小島新田駅 昭和53年3月17日

230形が消えてから25年、大師線の車両は「丸400系」→「700系」と移り変わりました。 その700系も既に廃車が始まり、現在は朝のラッシュ時には1000系も活躍しております。 京浜工業地帯の地盤沈下に伴い朝のラッシュ時の運転間隔も4分から5分に伸びており、また沿線の鈴木町には大規模ショッピングセンターもオープンし、 大師線の雰囲気が少しずつ変わってきました。
私事になりますが、大師線終点の小島新田近くに管理人が勤務する会社の事業所があり、230形が引退した2年後から、大師線を利用してきました。 大師線は愛着のある路線でしたが、平成15年2月28日をもって通勤経路にピリオドが打たれました。 今度大師線に乗るときはどう変わっているか?
平成15年3月2日記

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